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第10回記念ナゴヤサクソフォンコンクールに寄せて
ナゴヤサクソフォンコンクールはついに10年目を迎えました。
2015年、第1回一般(アマチュア)部門で優勝し、2019年にベルギーで開催された第7回アドルフ・サックス国際コンクールで6位入賞を果たした袴田美帆さんが今回審査に携わっていただいているのも、感慨無量の心境です。また昨年開催された第8回の同コンクールでは、2021年の第7回ナゴヤサクソフォンコンクール、アンサンブル部門で第1位に輝いた大阪音楽大学の四重奏のメンバーであった平井亘さんが第4位に入賞されています。
「ナゴヤからセカイへ」を次々と具現される素晴らしいコンテスタントの方々に支えられ10年の間育てられたナゴヤサクソフォンコンクールは、次は「セカイからナゴヤへ」も目指していかなければならないと感じています。
今回は第10回記念と冠し、記念部門として「一般(アマチュア)over40部門」を設けました。これは、アマチュアであるはずの一般部門のレベルが若手演奏家部門に引けを取らないくらいレベルが著しく高騰していることにより、本当の意味での愛好家の方々がエントリーしにくくなっているのではという声を受け設置したところ、予選には多くのエントリーをいただくことになったのは正直少し驚きました。この部門の多くの方々がお忙しいお仕事やご家庭をお持ちになりながら独奏に挑戦されるというのは、並大抵のことではないと容易に察することができます。なんとサクソフォン界は頼もしいのだろうかと感服するしかありません。
このコンクールがサックス村の英雄を決めるものではなく、サクソフォンがクラシック音楽の歴史の中に刻み込まれていくようなグローバルな音楽を生んでいき、サクソフォンと音楽を愛する多くの人たちがさらにその音楽人生を豊かにしていくことができる祭典となっていけるよう、我々演奏家はこれからも音楽家として襟を正して活動していかねばなりません。
コンクール開催にご尽力、ご協力下さる全ての方々への深謝を申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。
2024年2月
ナゴヤサクソフォンコンクール運営委員長
堀江裕介
第9回ナゴヤサクソフォンコンクールに寄せて
ナゴヤサクソフォンコンクールも第9回を迎えました。この情勢の中にありながら一度も中止や延期をすることなく毎年開催することができ、多くの方々にエントリーをしていただいていることは、非常に頼もしく、烏滸がましくも誇らしく感じてしまいます。
昨年3年越しで開催された日本管打楽器コンクールのサクソフォン部門では、第1回ナゴヤサクソフォンコンクール高校生部門で第2位に入賞した蒙和雅さんが、本選入選を果たしました。同じく第1回の一般アマチュア部門で優勝し、2019年にアドルフ・サックス国際コンクールで入賞した袴田美帆さんに続いての快挙と言っていいでしょう。
国際コンクールといえば、一昨年はショパン国際ピアノコンクールが大いに盛り上がりました。多くの日本人コンテスタントが予備審査を突破してワルシャワに集まったことは記憶に新しいですが、コンテスタントのプロフィールは様々で、生粋のピアニストから、指揮者としての活躍も注目される実業家ピアニスト、東京大学で総長大賞を受賞したYouTuberピアニスト、医師の卵として研鑽を積みながら、コンクール終了後はヨーロッパの医療現場を視察していたという医大生ピアニスト。
昨年開催されたロン=ティボー国際コンクールピアノ部門で第1位となった亀井聖矢さんも、明和高校音楽科在学中はピアノの腕前はさることながら、謎解きクリエイターとしての一面を持っており、文化祭などでは大いにそちら方面で活躍し、ホームルーム企画をグランプリに導きました。
19世紀前半、音楽の都ウィーンには「ディレッタント」と言われる今で言えばアマチュア音楽家がたくさんいました。しかし今のアマチュアの概念とは全く違い、本業を持ちながら職業音楽家顔負けのスキルを持った人たちのことで、ベートーヴェン、シューベルト亡き後のウィーンはこのような人たちに音楽界は支えられていました。現に1860年にブラームスがウィーンを訪れるまで、ウィーンで職業音楽家として後世に名を残した人物は皆無です。
モーツァルトの作品を整理し、番号を振ったことで有名なルードヴィッヒ・ケッヘルもその1人で、ハプスブルク家の子供たちの家庭教師を務めながら、作曲、作詩、鉱物や植物の研究に勤しみ、実績も残しています。黄金のホールで有名なウィーン楽友協会もこのような人たちによって結成され、現在まで至っています。
しかし20世紀あたりから「専門家」という響きが尊ばれ、ディレッタントは「素人」の烙印を押された蔑称に成り下がってしまいます。音楽や文化を愛して人生の精神的支柱として生きるディレッタンティズムは、素人の道楽程度の意味しか為さなくなるのです。
さらに歴史を遡れば、音楽は古代から長きに渡って教養の一つとして「音楽も」幅広く学ばれてきましたが、専門家の時代になり一部の人が「音楽を」専門に特化した場所で学ぶ時代となりました。そして今の世界のトレンドは、幅広い人材育成の一環として、多くの場所において「音楽で」学ぶ時代となってきているといいます。
現代の「専門家」に求められるものは旧世代のそれとは変化してきていて、高い専門性はもちろん、幅広い専門性を身につけ、音楽を芸術として(時にはエンターテイメントとして)、芸術を文化として、文化を歴史として、歴史を社会として俯瞰することができ、音楽を自己の言葉で語り、音楽と社会をしっかり繋ぐことができる力かもしれません。これこそ「現代のディレッタンティズム」なのではないでしょうか。
ナゴヤからセカイへ、このコンクールから今年も素晴らしい人材がミライに羽ばたきますように。
2023年2月
ナゴヤサクソフォンコンクール運営委員長
堀江裕介
第8回ナゴヤサクソフォンコンクールに寄せて
昨年の第 7 回プログラムに、“今求められているのは、「切羽詰まった前進」を開拓する能動的な知恵の結集”、としたためてから 1 年が経ちました。音楽活動、音楽教育の現場では、本当に涙ぐましい前進が模索されてきた 1 年でした。それは、音楽をデータ やインターネットの中で育てつつも、生演奏の場に引き戻そうとするハイブリッドなムーブメントでもありました。 しかし世の状況は一進一退を繰り返し、2022 年 2 月現在、まるで無条件に「振り出しに戻る」賽の目が出てしまったかと、唖然としている方も多いかもしれません。
ナゴヤサクソフォンコンクールは第 8 回を迎え、今回のエントリーは過去最多を更新いたしました。逆風に毅然と立ち向かう若者たち、 そして音楽を愛する気持ちをどんな時も大切にされる多くの方々の存在に、音楽文化の輝く未来を見ている気がします。音楽の場合、 それが芸術なのかどうかという証明は、演奏に託されている場合が多く感じられます。今回もサクソフォンのために作曲された数々の 作品を、多くの参加者がそれが名曲である証を命懸けで刻み込んでくれることでしょう。それはコンクールの意義の一つでもあります。 私事ではありますが、昨年 12 月に東京サクソフォーンオーケストラという、平均年齢 20 代の若い団体のツアーの名古屋公演でゲストソリストを務めさせていただきました。このオーケストラのメンバーの中には当コンクールの過去の入賞者や参加者が多く在籍して いて、何人もが再会の挨拶に来てくれ、感無量でした。そしてひたすら前向きに自分達と音楽の未来を見据える彼らの真剣な眼差しと、 妥協の一切ない音楽に大きく胸を打たれたのです。
「芸術は社会を変えることはできない、しかし社会を変える感性を育むことはできる」
美術家エリザベス・カトレットの言葉は、今こそ私たちを励まします。
2022年2月
ナゴヤサクソフォンコンクール運営委員長
堀江裕介
第7回ナゴヤサクソフォンコンクールに寄せて(ご挨拶に代えて)
昨年2月、第6回コンクール本選を迎えた時、この世の中へ染み入っていく予兆は既にありました。会場になった名古屋芸術大学の玄関にはこれから致命的に品薄となるマスクが置かれていて、審査員は全員がマスク着用で審査に臨んで下さいましたが、でもまだここまでの事態になるとはほとんどの人が想像していなかったというのが正直な所感でした。そして本選ではそのような予兆を忘れさせてくれる熱演が繰り広げられ、各部門において素晴らしい入賞者の方々が誕生し、同時に袴田美帆さん(第1回一般アマチュア部門優勝)との、2019年アドルフ・サックス国際コンクール第6位入賞を記念するコンサートイベントの企画が進行し始めていました。それはこの2021年2月を予定していたものです。
本選から2週間後、全国の学校は突如休校となり、劇場やホール、ライブハウスは営業自粛、音楽はあっという間に世界から消え去りました。その後音楽はインターネットに場を移し、多くの音楽家がその場から必死で音楽を発信し続けました。しかしこのメディアを通した音楽が、世界中の音楽の不在を覆い隠していくような、奇妙な危機感を募らせてきた音楽家は多いのではないかと思います。
私自身、4月からは学校でのレッスンやクラス授業は叶わないため、オンラインの場に移行せざるを得ませんでした。その時に感じたのは、レッスンや授業は、その空気と時間を共有していたことが最も大きいことだったということです。生徒の目を見て、自分もここぞという時に音を出す。また担当する音楽史のクラス授業でも、授業の空気により話す時間を増やしたり減らしたり、鑑賞の時間を作ったり、声を小さくしたり大きくしたり。画面越しに見る生徒たちの顔は一人一人よく見えますが、全員に別々の時間が流れていることはすぐに感じられたことでした。これは本当に未来へと進化した形なのだろうか、常に重くのしかかり続けたことでした。
開き直った私見になりますが、音楽というのはその空気と時間の共有を求むる最たるものであると確信しています。肩を寄せ合い、奏者から発せられる空気の振動に心を震わせ合い、同じ時間を共有し、感動を分かち合う。ここに奏者も聴衆も途方もなく魅せられているのです。「平常時に戻る」という言い方をよく耳にしますが、今我々に求められているのはそのような受動的な姿勢よりも、「切羽詰まった前進」を開拓する能動的な知恵の結集ではないかと感じています。
第7回になるナゴヤサクソフォンコンクールには、過去最多の参加申し込みがありました。この事実に運営委員一同今までに感じたことのない、筆舌に尽くし難い頼もしさを感じました。新時代を新たな知恵と感性を持って背負っていくリーダーが、今年も「ナゴヤからセカイへ」生まれ、羽ばたく日がやってくることを心から祈っています。
2021年1月
ナゴヤサクソフォンコンクール運営委員長
堀江裕介
ご挨拶
このナゴヤサクソフォンコンクールも第6回を迎えることになりました。第1回の参加者が各方面で活躍しているのをコンサートのチラシなどで見かけると、誇らしく感じる自分がいます。中学生だった参加者は音大生となっており、高校生だった参加者は国際コンクールなどの舞台に立ち、若手演奏家部門に参加した奏者はプロのオーケストラの舞台や華々しいソロリサイタルで喝采を浴びています。また、近年は一般アマチュア部門の参加者も多く、日々の忙しい仕事をこなしながら、サクソフォンを通して自己研鑽に努める、なんとも頭の下がるハイレベルなディレッタント(愛好家)の方々も多く見られるようになりました。
3人の日本人入賞を果たした「第7回アドルフ・サックス国際コンクール」の「事件」は、まだまだ皆様の記憶に新しいと思います。第6位に入賞された袴田美帆さんは、この第1回ナゴヤサクソフォンコンクールの「一般アマチュア部門」の優勝者でした。彼女は当時まだ神戸大学の学生で、プロの演奏家になるのは諦め、「ディレッタント」を自認していたのです。しかし愛好家として過ごす中、パリの一般大学との交換留学をきっかけに本格的に音楽院で勉強し始め、パリ音楽院生活3年目で世界のトップソリストの仲間入りをしたわけです。なんという夢のある話でしょう。インターネットを通して聴いた彼女のファイナリストとしてのパフォーマンスは、あの時の、プロもアマチュアも関係なくただサクソフォンを愛してやまない彼女のキラキラとした演奏をはっきりと思い出し、大きく胸を打たれました。
コンクールの発祥と言われるパリ音楽院では、コンクール発足の18世紀末当時は、なんと信じられないことに、専門の楽器の審査はしないという掟があったそうです。それは技術的なことよりも「音楽」として音楽院の学生を評価したいという強い信念が感じられます。(しかし19世紀にはご存知の通り音楽は技術の世界へと突入するわけですが…。)図らずも近い信念を掲げるナゴヤサクソフォンコンクール、今回も素敵な特別審査員をお招きできました。「ナゴヤからセカイへ」、どうかサクソフォンを愛する音楽家たちを、これからも応援していただけたらと切に願い、ご挨拶に変えさせて頂きます。
2020年1月
ナゴヤサクソフォンコンクール運営委員長
堀江裕介
ナゴヤサックスフェスタが、前身のサクソフォーンフェスティバルinナゴヤから始まり、16年の年月を重ねて参りました。名古屋はいつの間にか全国でも有数の、サックス都市として盛り上がりを見せています。このムーブメントが、今度は輩出という形で世界に広がったらという思いでスタートしたのが、ナゴヤサクソフォンコンクールでした。
私自身第1回からすべて審査をさせていただいてきましたが、回を重ねるたびにどんどん素晴らしい演奏が生まれているのを感じています。中高生の驚くべきレベル、一般アマチュア部門の計り知れないサクソフォン愛、そしてU25部門の限界を感じさせない熱い演奏は、コンクールという枠組みを超え始めました。
第4回からはアンサンブル部門も新設され、初々しくも非常に美しいアンサンブルから超本格のアンサンブルまで、早速登場しています。
また、このコンクールの特徴として、サクソフォンという目線だけではなく音楽というスタンダードな目線から外れぬよう、プロのオーケストラ奏者や音大の教員を務められている、サクソフォン奏者以外の特別審査員を招いていることがあげられます。
これは我々の勉強でもあるのです。サクソフォンはやはり歴史的に新しい楽器であり、我々奏者は常に歴史を背負う音楽家に真摯に向き合う必要があります。サックス村の英雄ではなく、世界に通用する音楽家が、このナゴヤから生まれてくれることを願っています。
2019年1月
ナゴヤサクソフォンコンクール運営委員長
堀江裕介